プロフィール


プロフィール

こんにちは、旅リーマンのZuminです。

このブログを見てくださってありがとうございます。

ベトナム→フィリピン→インドネシア→シンガポールと海外を転々と引っ越し7年目。

「グローバル自由人」をモットーに、好きな国で自由に働きながら活動しています。

旅リーマンどっとこむでは、

  • 人生の選択肢を増やしたい
  • 投資で自由になり世界を飛び回りたい
  • 海外転職・ビジネスで成功したい

そんな方々に向け、世界中を転々としてきた僕の経験や知識をもとに自身のアウトプットの場として発信をしています。

まず僕が、どんな人生を歩んできたのか?

以下、これまでの僕の人生をハイライトしていくので、興味がある方はぜひ見てやってください。

Zuminってどんな人?

Zuminってどんな人?

  • 沖縄
  • 野球少年(阪神ファン)
  • 柔道弐段(黒帯)
  • WWEファン
  • EDM好き
  • 国際結婚(フィリピン人妻)
  • 猫好き
  • 英語(ビジネス)、インドネシア語(日常会話)、タガログ語(日常会話)

いずれかのテーマでピンと来る方は仲良くなれるかもしれません(笑)

幼少期:引っ込み思案の泣き虫

平成元年、4人兄弟の長男として東京に生まれ、体は大きく幼稚園、小学校と背の順はいつも一番後ろでした。

ただ、体格とは真逆に、性格はとにかく小心者、緊張しいですぐ泣いてしまうほど弱々しかったのです。。。

例えば、父の会社の社員旅行で行った人生初の海外旅行のハワイ3泊を高熱で台無し。

毎年恒例の沖縄へ帰省も1週間食事が喉を通らず台無し、学校の修学旅行も不安が先行して全く楽しめない人間でした。

そんな性格を徐々に変えていってくれたのが、小学5年から始めた野球。

地元の少年野球チームに入り、中学でも野球部に入部、あえて厳しそうな環境に飛び込むことによって、少しずつ弱い性格を克服していきました。

高校時代:柔道とバイトに明け暮れる日々

高校時代は、地元の公立校に進学。

幼なじみに誘われ、強くなりたいという好奇心で柔道を全くの未経験から始めました。

誘ってきた友人は1年持たずにやめていったものの、黒帯だらけの中、1人白帯でしごかれ、3年間で初段と弐段(黒帯)を取得するまでに至りました。

その傍ら、地元のラーメン店でバイトをしつつ、進学のための学費を稼ぎ始めました。

専門学校時代:ひたすらTOEIC800点を目指す日々

「海外で働きたい!」という漠然とした夢があったので、英語を勉強したいと思い、割と簡単に入れそうな外国語の専門学校に入ることに。

TOEICで800点を越えると、卒業時に奨学金20万円がもらえるというシステムがあったので、それだけを目指してがむしゃらに勉強をしていました。

当時は、朝9時から夕方5時まで英語の勉強 → 夜6時から朝4時までラーメン店でのバイトのルーティーン。

生活リズムは完全にバグっていました(笑)。

バイト時代

2010年:アメリカ短期留学と大学編入

進路は楽な道を選び、編入で姉妹校の大学へ進学することを決めました。

同時に、卒業前最後のTOEICでようやく800点越えを達成、駆け込みで奨学金20万円をゲット!

そのお金を自己投資し、憧れのアメリカ・サンディエゴへ1ヶ月の短期語学留学をしました。

通っていたアメリカ・サンディエゴの語学学校

ドキドキしながら、初めての1人海外。

しかし、優しいホストファミリー、世界各国から来た友達との出会い、それなりに自分の英語が通じているという喜びから、そんな不安はすぐに吹き飛びました。

毎日バスで片道1時間ほどの通学、夜はスイス人の友達の家でパーティーをしたり、週末にはレンタカーでLAに旅行に行ったり。

夢のような時間はあっという間に過ぎていきました。

2011年:就活で100社以上エントリーも落選、失恋で絶望

そんな楽しい日々だけが続くわけもなく、厳しい現実を突きつけられます。

大学を3年次編入したため、キャンパスライフを楽しむ暇などなく、ひたすら就活に苦しむことになります。

とにかくガムシャラに興味のある企業100社以上にエントリーするも、全く最終面接へ進めず苦悩の日々。

周りがどんどん内定をもらう中、焦りから空回り、遂にはある企業の圧迫面接で心が折れ、悔し泣き。

さらに追い討ちをかけるように、当時付き合っていた彼女と別れることになり、精神的に病み、現実から逃げ出すことに。

2011年夏:アメリカへバックパッカーとして現実逃避

そんな絶望の中、とある企業の説明会で隣の席に座った就活生との出会いがありました。

なんでも、その彼は「グレイハウンドというバスを使って、バックパッカーとしてアメリカ横断の旅をした」というのです。

その話でビビッときた僕は「自分にもできるかも!」と早速行動開始。

同じく就活で悩んでいた幼なじみの友人を誘い、夏休みを丸々利用して、よくある「自分探しの旅(笑)」へ出ることを決意。

退路を断つために、すぐにLA行きの格安航空券をGETし、手持ち10万円だけでバックパッカーとしてグレイハウンドバスでアメリカ横断の旅に出ました。

旅は1ヶ月間、陸路でLAからNY、さらに飛行機が往復チケットの関係で、30日後にはLAに戻らなければならず、過酷なスケジュールになってしまいました。

実際のルート

おかげで旅は過酷を極め、1日1都市、毎日10時間バス移動、1日1食、グランドキャニオンの近くで野宿など、これまでに経験したことのない体験だらけで、思いっきり殻を破ることができました。

グランドキャニオン制覇

諸々の体験は、アメブロが残っており、学生のノリで恥ずかしい表現がたくさんありますが(笑)興味ある方はどうぞ。

2011年秋:ラストチャンスで内定ゲット!

バックパッカーとしてアメリカ一周旅を経験したことで、殻を破った僕は再び就職活動を再開。

当時は、10月ともなると新卒採用の期限は終わると言われていたのですが、ギリギリの9月に希望していた某IT系上場企業の面接をクリアすることができました。

今思えば、1次面接は普通に落とされてもおかしくないレベルで、会社のことを全く理解していませんでした。

ただ、人事担当の方が僕の経験を買ってくれたため、「もう1回準備して出直してきな!」と2度目のチャンスをいただくことができたのです。

それ以降は不思議とトントン拍子に計4回の面接をクリアし、晴れて内定を勝ち取ることができました。

内定を聞いた瞬間に、渋谷のど真ん中で泣きながら母親に電話したことは今でも忘れません。

2011年冬〜春:バイトとオーストラリア留学

内定が決まったことで、一気に肩の荷が降りた僕は「社会人になる前にもう一回海外に出る!」と決心。

大学の単位を取りながら、再びラーメン店で夜6時から朝4時までのバイトを繰り返す日々に戻りました。

比較的安く留学できるオーストラリアに照準を当て、とにかく貯金し続け、2011年末にオーストラリア・シドニーへ3ヶ月のビジネス英語留学を実現させました。

オペラハウス

しかし、これまでガマンしていたものが一気にはじけたのか、勉強よりも遊びを重視。。。

学校をサボってビーチでBBQ、飲み会、旅行などにかなり時間を使ってしまいました(反省)

ただ、弾丸でウルル(エアーズロック)に行ったり、スカイダイビング、バンジージャンプ、ダイビングなどを一気にやり尽くしたので今となっては満足しています。

2012年春:就職と新たな葛藤

大学の卒業式は出ず、入社式の2日前ギリギリに日本へ帰国。

新社会人として、インターネット広告の営業部隊に配属されました。

当時は検索エンジンの広告の営業マンとして、ひたすら営業電話をかけ続ける日々。

上司に怒鳴られ続けながらも、なんとか1年目を乗り越えました。

仕事もこなれてきた2年目、成約したときの楽しさ、目標数字を達成する喜びはありつつも、自分のやっている仕事となりたい自分のギャップに疑問を感じ始めます。

おまけにモンスタークレーマーからの対応や、600万円の奨学金(学生ローン)の返済で心はズタズタ。。。

この頃、追い討ちをかけるように母を病気で亡くし、「自分の人生、これでいいのか?」と考える日々が続きました。

2015年:大きな転機

それでも次のステップへ進むため、最低限と考えていた3年間をやり遂げ、大きな転機が訪れます。

ちょうどその時期、会社が海外への進出を強化するという話が出始めました。

「これだ!」と思った僕は、迷いなく社内異動制度を活用し、海外部門の立ち上げに立候補。

これまでの実績と英語力を経営陣にアピールし、なんとか合格!

準備期間3ヶ月を経てベトナムへと派遣されることになります。

ベトナムにはすでにグループ会社があったため、その仲間たちとサービス立ち上げに奔走。

「さぁ、やるぞ!」と覚悟を決めた3ヶ月後、次の国へと移ってほしいと指示が…

ベトナムチームとのお別れ

2015年冬:フィリピン生活

ベトナムでの不完全燃焼の中、次の舞台であるフィリピンへ移住します。

こちらは、サービス立ち上げはおろか、会社が立ち上がったばかりで何も整っていない状態。

人の採用、仕組み作り、営業、サービス開発、マーケティング、カスタマーサポートチームの構築と、ありとあらゆることをゼロから立ち上げていきました。

正直、来る前は「フィリピンだけは絶対に行きたくないな」と勝手に想像していましたが、住めば都。

明るい国民性、著しい経済発展、英語が通じるということで、すぐに生活にも慣れました。

このフィリピン生活を経験したことで、物事を経験せずに決めつけるのではなく、視野を広げてみることの大切さを学びました。

フィリピンのオフィス

仕事も徐々に軌道に乗ってきた2年目、同時に成長のスピード感という部分で物足りなさも感じ始め、さらなる成長を求めて、人生初の転職を決意します。

2017年:転職でインドネシアへ

次は、デジタルマーケティングのスタートアップ企業で、営業マネージャーとして、インドネシアのジャカルタへ拠点を移すことに。

インドネシアの経済成長スピード、人材の優秀さ、テクノロジーという面では、ある意味日本より先を行っているものが多く、驚きました。

ジャカルタのオフィス

ただ、コネもなく、言葉も通じない国で後ろ盾なく勝負するのは初めて。

これまでは、一緒に赴任した日本人の仲間がいましたが、ここでは自分の身ひとつ。

苦しい事は多かったですが、伸び続ける会社の中で置いていかれないよう、とにかく必死。

自分の足で切り拓いて、大きなプロジェクトを成約していくという達成感からさらなる自信を手にすることができました。

その成果もあり、長年の悩みであった600万円近くの奨学金を毎月繰上げ返済し、なんとか完済!

2019年:再び転職でフィリピンへ

インドネシアでの生活から2年後、「将来は自分の力で自由に生きていきたい」と考えるようになりました。

経営や事業開発のスキルが必要と感じ、フィリピン人のパートナー(現在の妻)と結婚を考えて、フィリピンにある会社へ再度転職することに。

しかし、その直後コロナの影響で国全体がロックダウンとなり、全く外に出れない日々が約2年続くことになります…

逆にこれをチャンスと捉え、自らのインプット・アウトプットの量を増やしていくため、このブログを本格的にスタート。

この間に本業をやりつつ、空いた時間でブログ執筆、投資にのめり込みました。

さらにフィリピン人の妻と共にマニラでクラウドキッチンという形で日本食のデリバリー事業を開始。

小さなコミュニティでのビジネスですが、海外生活で培った料理スキルのおかげもあり評判は上々。

コロナで仕事を失った妻の友達数名に仕事を提供することができています。

さらに、2022年には妻がシンガポールに転勤となったため、僕も一緒に移住をしています。

伝えたいこと

僕はお金持ちの家に生まれたわけでもなく、いい大学を出たエリートでもなく、失敗だらけの人間でした。

成功体験ばかりでなく、失敗もあえて公開することで、悩んでいる多くの人に希望を持ってもらえるようなブログにしたいと思っています。

10代から20代前半は、何でもない思考停止人間。

ただ、それと同時に「安定」「普通」を求める自分がコンプレックスでもあり、悩みもがきながらも、あえて環境を変え、新たな挑戦を繰り返すことで、地道に人生を切り開いてきました。

このブログを通して僕が伝えたいのは、

「視野を広げること」の重要さ。

日本のように居心地のいい場所にいるとどうしても、同じ価値観や気の合う仲間とつるみ、同じ景色を見る。

いつの間にか年を取り、家族を持つことで、夢を捨て、「このままでいっか」と妥協。

挑戦せずに安定を求めがち。

僕もあのまま、日本でサラリーマンを続けていたら、同調圧力に流され、悩みを抱えながらも日々変わらない暮らしをしていたかもしれません。

視野が狭い→選択肢がない→淡々と日々を生きる

そういった生き方を否定するつもりはありませんが、若いうちにチャレンジせずに後悔する日本人を少しでも減らしたい。

そんな気持ちで、このブログでは僕のこれまでの経験やタメになる情報を幅広い視点でアウトプットしていきます。

旅リーマンどっとこむについて

旅リーマンどっとこむについて

旅リーマンどっとこむでは、世界を舞台に自由な生活をしたい「グローバル自由人」を目指す人に向け、以下のテーマを中心に有益な情報発信をしていきます。

  • 海外転職などのキャリア情報
  • 個人時代を生き残るためのビジネススキル
  • 海外におけるビジネストレンド
  • 投資など金融知識を上げるための情報
  • 旅行・移住におけるお役立ち情報
  • 英語・各国ローカル言語の勉強法

海外を飛び回る僕だからこそできる、実体験ベースの情報発信を心がけていきます。

このブログが、少しでも多くの人の視野を広げるきっかけになれば幸いです。

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